oneself

エリートでなかった自分。

2013-10-27
高山コーチが順風万巻にサッカーをしてきたと思っている人もいるはず。
実はそうではないのです。
自分の不幸話を自慢してもどうかと思いますが指導者として伝えていくこともよいかと思い伝えておこうと思います。

当時小学校4年生からスポーツ少年団に入部するのが定番だった時代。
野球、サッカーと選択肢がありました。
何が特に好きかという事はありませんでしたが、自分の父親がラグビーをやっていて、ラグビーをさせられるかもという空気がありました。
その父親がとても厳しく家ではいつも不機嫌でとにかく怖かったのです。
その父親から逃げたい思いでサッカーチームに入部するという前向きでない理由でサッカーを始めることにしました。

初めての練習でPKスポットに置いたボールを蹴ってみろと言われ、思いっきり蹴ってみたら思いっきり空振りをして背中から地面に落ちました。
足を振り切った瞬間、空が目の前に見えて、気がついたら背中からドスンと落ちて息が出来ませんでした。
それが、僕にとってのサッカーのはじめの一歩でした。

体の大きさにも恵まれず、中学校1年生で138cm・26kgですから相当小さかったと思います。
小学校4年生から中学校1年生までサッカーでの良い思い出は、一つ上の先輩がサッカーが上手くて、5年生の時に補欠で全国大会に連れて行ってもらったくらいでした。

自分の学年は4人しかおらずそれでも試合に出られるか出れないかの存在でした。
コーチが上級生だから試合に出してやろうといろいろ工夫してくださっていましたが、戦えない自分はいつも怒られていました。

当時、スパルタ指導が当たり前だったので、練習や試合でよく体罰を受けました。(当時は当たり前なのでここは問題にしないでください。)
サッカーが下手で性格もしっかりしていないので、学年に一人はいるしばかれ役でした。

小学校4年生から中学校3年生までしばかれなかった日は5日あるかないかだったと思います。
最初は土曜日だけの練習でしたが、5年生くらいから木曜日になるとサッカーが嫌で子どもながら胃が痛くなっていました。その後、水曜日も練習日になってしまい一週間ずっと胃が痛い時もありました。

食も細く、合宿では居残りでご飯を食べていて自分が食べ終わったときは他の人がお風呂も終わりトランプなんかで遊んでいる時でした。
好き嫌いはありませんでしたが、どうしてもご飯が食べれない。
まさに合宿は僕にとっては地獄でした。

とにかくサッカーが楽しいなんて思った事はありませんでした。

サッカークラブでは「下手くそ」「帰れ」と言われ、家では「家の恥さらし」とまで言われて辞めなかった理由は、先にやめていく先輩たちを『脱落者』とコーチが言っていたためです。
ほんの少しの意地が自分を逃げることから守っていました。

しかし、とうとう脱落者になる時がやってきました。
中学校3年生になって新チームになり新しいユニホームを配布される時に、背番号12をもらった時のエピソードです。
4人しかいない学年にいながら背番号12。
そのユニホームを渡される時に「おまえはエース・ホケッツー」やなとコーチに言われました。
その時、後輩も含め大笑いされて辞める決意をしました。
14才の自分にとって5年間頑張ってきたことはとても長い時間でした。
それでも報われない事実があり、自分に向いていないと心から思ってしまいました。

やめたことによって楽になれるのかなと思っていましたが、ここからが一番の問題でした。
『脱落者扱い』です。
学校での普通の生活の中でも仲間だった人の目が冷たくなったのです。
当時は中学校サッカー部とクラブチームとの二重登録が可能だったので、中学校サッカー部ではサッカーを続けようと思っていたのですが、その部室の扉に『高山の魔除け』という紙が貼ってありました。
僕はそれを見て、はがすことなくその場を立ち去り中学校サッカー部もやめました。

その悔しさを晴らすためだけに高校でもう一度サッカーをしました。
馬鹿にしたみんなを見返したかったのです。
2回目にサッカーを始めたのも変な動機ですが、その時の自分はそれしか頭にありませんでした。
他の競技をしてもよかったと思うし、失った友達にこだわることもなかったと思いますが、狭い地元の世界で生きていたので、一生後ろ指を指されると思い込んでいました。

高校1年生の時ももちろん優遇される事はなく、誰かがサッカーの道具を忘れたら先輩が僕のものを借りて来いと言って貸していました。
中学校の時に引き続き、試合ではラインズマン(今の副審)ばかりさせられて、試合にはあまり出してもらえませんでした。

この頃から必死に頑張って人より練習したことや、やっと成長期を迎えて人並みに大きくなってきたことや、小学校時代にコーチがしっかりと基礎基本を身につけていてくれたことで、高校2年生からは高校3年生の試合に出させてもらえるようになりました。
この時、サッカーをやって8年目でやっと『楽しい』と思いました。

自分のサッカーでの結果を出したくて、大学をサッカー推薦で希望しました。
運良くサッカーで進学させてくれる大学があり、ここからみんなと競争しようと思ったのですが、同級生の誰も大学でサッカーはしませんでした。
そこで、僕の復讐ではない対決は終わりました。

大学では1回生から4回生まで全てスタメンで試合をさせてもらいました。
大学では「1回生からレギュラーの高山さん」みたいな扱いをしてもらっていい気になりましたが、この時に感じた事は「サッカーやめなくて良かった」でした。

この話は一流ではない高山ごときの話なのでサクセスストーリーではありません。
『良いことも悪いことも経験』と言いたいのです。
今、FC solceuの中でいろんな立場の選手がいます。
今すぐ答えの出ない『経験』があります。
キングでプレーすることだけが良いことなのか?プリンスでもたくさんの良いこともあるはず。
小学生年代でサッカーが上手かったら何もかも手に入ると勘違いしていないか?
サッカー上手くてもグラウンドから一歩出たら普通の子どもです。多くの時間はただの子どもなのに、勝手に偉いと勘違いしていないか?

それぞれの立場で学ぶ事が出来ます。
ただし、周りの大人がどのような言葉や態度で関わるかに掛かっています。
今も昔も『子ども』は変わりません。
必ず『良い経験』ができるはず。

FC solceuで今を活かす『経験』と今すぐ答えの出ない『経験』をしてください。

『未来を夢みて』

※小学生時代から現在まで関わって頂いた全ての方々に感謝します。
自分もたくさんの『経験』を積ませて頂き今日があると思います。
これからも、微力ですが指導者をやらせて頂く中で、それぞれの『経験』を活かしていこうと思っています。